今世で出会う“試練”は必要なもの?①
人は、得てして他人がよく見えるもの。
自分に持っていないものを、持っている人をうらやましいと思うもの…です。
私もそうでした。
小さいころ、周りの子どもたちが羨ましくて仕方ありませんでした。
どの子も母親の愛に包まれ、大切にされている…。
ご飯を作ってくれるのは当たり前、学校から帰るとおやつの時間が待っている…。
私はよく、「どうして自分の家と他の家はこんなに違うのだろう」と不思議に思ったものでした。
今の時代は、昔よりずいぶん子どもをほったらかしにする母親が増えているようです。
手作りのおやつはもとより、ご飯もちゃんと料理しない親が増えているとか…。
でも、私の時代は『お母さん』というのはとても慈愛に満ちて、子どもを包み込むように可愛がる、というイメージがありました。
少女漫画のテーマはそういうものが多かったのも事実です。
けれど、自分の家はあまりにも違う…私の出した結論は、どうも『これは本当の親ではない』というものでした。
きっと本当のお母さんはどこかにいて、いつの日から迎えに来てくれる、いつか本当のお母さんが現れる…と本当に夢に見ていました。
(もちろん、まぎれもなく母は本当の母親ではあったんですが…)
そして大人になり、押し寄せるように運命がやってきました。
あれよあれよと、医師の道を選び(ある日突然医学部に行こうと、啓示のようにひらめきました)、ずーっとコンプレックスだらけの私が医師になって、西洋医学に失望し、独自に漢方診療をやり出して、患者さん方に頼ってこられた時の“充足感”。
とても嬉しく、「何とか目の前の人を一人でも元気にしてあげたい」と必死で診療に励み続けました。
医師としての私は、患者さん方に頼ってこられることで、ようやくそれまで蓄積してきたコンプレックスから解放され、仕事をすることで自分が救われていきました。
導かれるように自費診療のクリニックをスタートし、診察のたびに「もし、自分がこの人のために処方した薬が効かなかったらどうしよう」と、身につまされる思いの日々を経験しながら、”目の前の人を治せないなら、それは自分の腕が悪いからだ”と常に必死でした。
やがて、ある健康補助食品と出会い、それを使った方が、漢方だけで治療するよりもっと皆が良くなる、ということを、何年間も使い続けた結果確信し、健康補助食品・サプリの開発をするようになり、やがて、そうしたサプリメントによる治療が、漢方治療と両輪を成すようになりました。
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