1. HOME
  2. ブログ
  3. ブログ
  4. スタッフのブログ
  5. 自己肯定感の大切さ①

BLOG

ブログ

スタッフのブログ

自己肯定感の大切さ①

―スタッフより―

こんにちは、スタッフの牧です。

先日、何をするともなく夜のニュースをぼんやり眺めていたところ、ふと興味深いフリップが登場し思わずテレビ画面を写メで撮ってしまいました。

「自分はダメな人間だと思うことがある」
日本    72.5%
アメリカ  45.1%
中国    56.4%
韓国    35.2%

少し前にもネットで同じ類の調査結果を見かけてはいましたが、日本人の若者の自己肯定感が先進国の中でもぶっちぎりで低いらしいのです。

(個人的には上記の数字などついつい疑ってしまうのですが、どちらにせよ世界的にみて日本は群を抜いて自己肯定感がとても低いと認識しました)

何だか他人事には感じられません。

何故、ここまで自己肯定感が低いのでしょうか?

調べれば専門家の記事や正確な情報はたくさん出てくるとは思いますが、以下私が思いついた原因を根拠なくあげてみることにします。

 

①日本ならではの文化・習慣(国民性)から起因?

まず日本独特の「謙遜」の文化を考えた時に、意外とマイナス寄りの言葉をつかいがちで、それらの言葉が知らず知らずの内(無意識下)に私たちに染み込んでしまっている傾向があるのではないでしょうか。

例えば、電車やバス等で人とちょっとぶつかりかけたりした時、どこかのお店で店員さんを呼ぶ時も「すみません」はいろいろと便利な言葉だと思いますが、ごめんなさい、失礼いたしました、恐れ入ります…と何かと自分を引いてしまう傾向の言葉を多くつかう様な気がします。たまーに何かの会見で土下座をする人、はたまた坊主頭になんて人も見かけますが…個人的には何もそこまでしなくても、と感じてしまいます。(逆にふとした時の「ありがとう」だったり、そんな場面が増えたら良いなと思います)

もちろん、その人その人の性格もありますし、場面場面によって一概には言えないので難しいところではありますが…。

 

最近は耳にしませんが「愚妻」「愚息」「豚児」という最強の謙遜ワードもありました。ここまでくると謙虚・謙遜とは言わず、卑下ですね。

言葉も生き物なのでその時代ごとに変容していきますし、その時代もはっきりと反映されるのだと痛感します。

もう何年も前になりますが、その当時も年配だった知人の方から、小学生くらいの時分、同級生に「とんちゃん」と呼ばれていた子の話を伺いました。それはその子の親御さんが我が子を「豚児」と呼んでいたのがきっかけで、周りの子ども達も真似をして「とんちゃん、とんちゃん!」と呼び始めたそうです。その時、私も初めてトンジと言う言葉を知る訳ですが…時は令和になりましたが、改めて凄いあだ名誕生話だと思います。

 

 

そう考えた時、もしこれが英語だったら…おそらく日本の敬語(尊敬語・謙譲語等)ほど細かなルールは存在しない?!でしょうし、そこまでへりくだりはしないのではないでしょうか。

愚妻もMy wife、豚児もMy sonに、もっと言えばMy good wife/son に近いシンプルな表現になるような(実際は下の名前でお互いを呼び合ってそうですが)…文化の違いをまざまざと感じます。

日本でも朝のニュースの終わりに「良い一日を」と言いますが、Have a nice day.でもGood morning.でもなんとなく気持ちのいい表現が多い気がします。もし明日、私が真緑かピンクの髪に染めてこようと意外とniceかcool!とでも言ってくれそうな雰囲気なので(笑)これはもしかしたら「ポジティブ言語」かもしれないと感じています。(海外番組を見ていると口の部分にモザイクが入り、ピーピー音が入る場合もたまにありますが、話がそれるので今回は目をつぶります)

 

SorryやExcuse me.は我々日本人の感覚だから学校でも教わってきたのかも知れませんが、実際にネイティブの人々はそこまで多用しませんし…確実に自分が悪くなければほぼほぼ謝らない(笑)…と言うのもよく聞く話です。

英語も様々な土地で話されているので各地で言いまわし等、違ったりするそうなので一概には言えず、それ以外の言語も世界には腐るほどあるので、全てはあくまでも一事例です。

英語は書けない読めない話せませんので、あとは詳しい方にお任せします…。

 

ざっくり何が言いたかったかと言うと、①国民性は大いに影響しているだろうと言う話でした。

文章が長くなってしまいましたので今日はここまで。自己肯定感の大切さ②へ…!

 

関連記事

ブログカテゴリ一覧

Blog

松本有記クリニック