今世で出会う“試練”は必要なもの?②
ようやく自分の世界を作り上げ、診療は以前のような苦しみはなく、患者さんの状態がスムーズに読めるようになり、治すための解決法もそろい、より結果の出る診療ができるようになりました。
様々なことが以前より、ぐーんと楽になったのです。
でも、やはり子どもの時からの心に穴の開いた状態は、母親によって埋められることは、ずっとありませんでした。
テレビを見ていても、周りの人たちを見ていても、あまりに自分の母との違いを思い知らされ、つくづく、愕然とすること然りでした。
…でも…最近ようやく気づきました。
これは、私が乗り越えなくてはならないテーマなのだと。
人にはそれぞれ、本当にいろいろなパターンの“負荷”がかかっています。
中には、バランスの取れた人もいるのでしょうが、見渡すと何かしら超えないといけないテーマを抱えている人が多いものです。
私はいつの間にか、視野狭窄に陥っていたかも…?
母(もう90歳を超えていますが…)がこの先、変わることはもう望めないでしょう。
私の抱いていた“いつか愛されたい”という思いは、きっと妄想で終わるでしょう。
そういう母を私が選んで生まれてきた、ポイントなのは、ここかなと…。
別に母に愛されなくとも、豊かな心を持って、心穏やかに温かく暮らすことはできるのだと…。
ようやく自分の中で、自分の心が完結できるようになってきました。ようやく傷つかなくなってきたかも…。
ようやく私のインナーチャイルドは癒されたかも…?
人には、その人が登るべき山があります。他人と比較するものではなく、いつの間にか埋め込まれた、“母親は子供を愛すものだ”という固定観念の呪縛に囚われていた自分…そこから解放されると、本当の自分の山をまっすぐ登っていけると思います。
”他人は変えられないが、自分は変えられる”
何かにぶつかった時…それは自分の心を変えて、変容していくことができる、より成長していくためにある障害なのだと、思います。
私の人生は、私が生まれる前に選んでいて、このようなストーリーだったのだなと、最近妙に納得しています。
そして何故か、心がウキウキして楽しいのです。
ようやく解放されたのかも…?
自分の心の中にある、ギザギザしたものや、穴の開いたような虚しさ、空虚感…各々が持つ心の問題は、究極、自分でしか解決できないのかもしれませんね。
”幸せの青い鳥”を求めて外を探しても、見つからないかも…。
なぜなら、答えは自分の心の中にあるのですから…。
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